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誘電関数って何だ? : 8. 誘電率を広い範囲で見渡そう
8. 誘電率を広い範囲で見渡そう
私たちが知っているガラスは,短波長から長波長に向かって屈折率が緩やかに減少する透明な媒質です. しかし,この常識が通用するのは可視を中心とする限られた領域で,角周波数領域全体では複雑な屈折率分散を示します. 本講座第8回では,広い角周波数範囲で誘電関数と屈折率分散を見渡して,誘電関数や屈折率分散を鳥瞰図的に理解していきます.
8.1 重さで変わる応答の速さ
広い角周波数範囲にわたる誘電関数と屈折率分散を調べていくことにします. ここでは,金属以外の物質(誘電体,半導体)について考えます. 実際の物質では,電子分極以外にも複数種の分極が誘電率に寄与するため,単一共鳴角周波数の振動子で決まる図33 の誘電関数のように単純ではありません. また,それぞれの分極が,分極電荷の有効質量に依存した共鳴角周波数帯を持つため,実際に観測される誘電関数は広い角周波数領域にわたって大きく変化します.
図40 に,モデル化した誘電関数と分極タイプを示します.
3種類の分極タイプ,すなわち,配向分極 ( orientational polarization ) ,イオン分極 ( ionic polarization ) ,電子分極 ( electronic polarization ) は,電気双極子振動に関与する有効質量の違いを反映して,それぞれに特有な共鳴角周波数帯を持ちます.
水 ( H2O ) などの極性分子では,電気陰性度の違いによって分子内に分極が生じており,光の電場振動に対して分子自体が回転応答します. これが配向分極です. 配向分極は,応答に関与する有効質量が大きいために,低い角周波数帯でしか応答できません. すなわち,光の交流電場が十分に低い角周波数のときには電場振動に追従して回転応答しますが,ある角周波数より高くなると遅れが生じて光の交流電場に追従できなくなります. この緩和過程をデバイ緩和 ( Debye relaxation ) または誘電緩和 ( dielectric reraxation ) と呼びます. 水の配向分極の場合,マイクロ波領域の電磁波を吸収して熱が発生します. このデバイ緩和により発生した熱を利用した食品加熱器具が電子レンジです. なお,分子・原子が動くことのできない誘電体などの固体では,配向分極は起こりません.
赤外領域には,分子配列内の電荷を帯びた原子によって引き起こされるイオン分極の共鳴吸収が現れます. イオン分極は,原子分極 (atmic polarization) とも呼ばれます. シリコン ( Si ) やゲルマニウム ( Ge ) などイオン性を示さない結晶ではイオン分極は起こりません. さらに角周波数の高い紫外領域では,原子内の電子と原子核により引き起こされる電子分極の共鳴によって光が吸収されます.
8.2 全ての分極応答により誘電関数が形作られる
図40に示した誘電関数モデルは,物質に含まれる全ての分極タイプの電気感受率の寄与を足し合わせたものです.
角周波数が低く全ての分極が応答できる領域では,図40 のように全ての電気感受率の寄与が足されるため,誘電率実部は高い値を持つ傾向があります. ただし,後述する金属では,自由電子の存在によって誘電率実部 ε1 は大きな負の値を持ち,誘電関数の様子は一変します. もちろん,物質によって含まれる電気感受率の構成は変わりますが,固体の場合,低角周波数領域における ε1 は,一般的に,電子分極とイオン分極の寄与が足し合わされた値になります.
光の角周波数を電波領域から次第に高くしていったとしましょう. 赤外領域を過ぎて光の角周波数が高くなると,イオン分極の電気双極子振動は光の角周波数に追従できなくなり,イオン分極は応答しなくなります [注] .
そのため, ε1 は,イオン分極の共鳴角周波数付近より高角周波数側でイオン分極の寄与分だけ減少することになります.
角周波数がさらに高くなると,やがて電子分極も追いつけなくなり,最終的に, ε1 の値は真空中と同じ 1 になります.
8.3 光物性は共鳴吸収帯の位置に影響される
図41は, IV族半導体結晶であるゲルマニウム ( Ge ) ,シリコン (Si ) ,ダイヤモンド ( C ) の誘電関数を比較したものです. 光学定数の文献値 [15] から作図しました.
IV族半導体結晶は共有結合していてイオン分極は発生しないため,全スペクトル領域の誘電関数は電子分極に因るものです.電子の内部バンド間遷移を反映した複数の励起状態が存在し,それぞれの励起は固有の共鳴吸収を示すため,電子分極のみであっても図41のように複雑な誘電関数になります.
この3物質では,ゲルマニウム ( Ge ) < シリコン (Si ) < ダイヤモンド ( C ) の順でバンドギャップが大きくなるので,それに合わせて電子分極の ε2 共鳴吸収ピーク帯も高エネルギー側にシフトしています.バンドギャップが広く電子分極の ε2 共鳴吸収ピークが高角周波数に寄っている物質ほど,静的誘電率 εs は低い値となります.また,ダイヤモンドのように,電子分極の ε2 共鳴吸収ピークが可視領域から遠い場合は,可視領域において ε2 = 0 となり透明になります.
[15] E.D. Palik (editor): Handbook of Optical Constants of Solids, Academic Press, New York (1985)
8.4 可視の屈折率分散は電子分極が決める
図42 に示したいくつかの重要な誘電体材料の屈折率分散について比較・考察していきましょう.
[15] E.D. Palik (editor): "Handbook of Optical Constants of Solids", Academic Press, New York (1985)
ガラスなどの誘電体では,紫外領域に位置する電子分極の共鳴吸収と赤外領域に位置するイオン分極の共鳴吸収の間に大きなエネルギーギャップが存在します. そのため,可視から近赤外にかけての波長領域では,吸収が無く透明で,短波長から長波長に向かって n が徐々に減少する正常分散を示します.
図42 に示した各誘電体材料の屈折率分散の形状を見比べてください. いずれの材料でも正常分散を示していますが,当然のことながら,屈折率分散のカーブ形状は材料によってまちまちです. ここに図示されている正常分散カーブの左側の紫外領域には電子分極の共鳴吸収ピーク,右側の赤外領域にはイオン分極の共鳴吸収ピークがあることを想像してみてください.
ここでは,電子分極の共鳴吸収ピークについて考えてみましょう. 例えば, TiO2 や Ta2O5 のように屈折率が高く急激に変化する屈折率分散カーブから,比較的浅い紫外領域に位置している強い共鳴吸収ピークがイメージできたでしょうか. 逆に, CaF2 のような屈折率が低く比較的平坦な正常分散カーブを見て,可視領域から遠く深紫外領域にある共鳴吸収ピークを想像することができたでしょうか. もうお分かりのように,誘電体の可視近赤外領域における屈折率の高さ,そしてそのカーブ形状は,基本的に,電子分極の共鳴吸収ピークが何処に位置し,どれだけ強く振動し,どれだけ急峻な分散特性であるかによって決まります.
イオン分極の共鳴吸収ピークについても同様なので,図42の赤外側の落ち方を見て,共鳴吸収ピークの位置や強度を想像してみてください. ちなみに,ダイヤモンドではイオン分極が起こらないため,屈折率は赤外領域で一定値となっています.
図42 に示した誘電体の中で 3 つのハロゲン化物, LiF , NaCl , KBr を選んで比較してみましょう. まず,図43(a) の元素周期表で, LiF → NaCl → KBr の順に原子数が大きくなっていることを確認してください. このことは,LiF → NaCl → KBr の順で電気双極子振動の有効質量が増加し,電子分極やイオン分極の共鳴角周波数 ω0 が, LiF → NaCl → KBr の順で低くなることを意味しています.
図43(b) で LiF , NaCl , KBr の屈折率分散を比較しましょう. 3 つのハロゲン化物それぞれの電子分極およびイオン分極の共鳴吸収スペクトルを想像してみてください. LiF , NaCl , KBr の原子数の違いから予想されたとおり, LiF → NaCl → KBr の順で電子分極およびイオン分極の共鳴吸収が低角周波数側(長波長側)にシフトしています.
最後に,電子分極の共鳴吸収帯,イオン分極の共鳴吸収帯の両方を含む複素屈折率分散の測定例として,図44 にTa2O5 の複素屈折率分散を挙げておきます.
図44 から,私たちの眼に感度がある可視領域は,紫外側に位置する電子分極の共鳴吸収ピークと赤外側に位置するイオン分極の共鳴吸収ピークの間にある透明窓の領域であることがよく分かります.